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2021.03.09

3.11を忘れない② 震災1か月後の福島

東日本大震災から10年。

FNN取材団としてサガテレビも被災地を取材してきました。

記者とカメラマンが目にした被災地の動画をサガテレビのホームページに一挙に掲載します。

未曾有の災害を忘れないために・・・

取材をめぐる当時の状況

震災から1か月後、サガテレビ2回目の被災地入りでした。1か月経っても大きな余震が続いていて、予断を許さない状況での取材でした。取材スタッフには、線量計の携帯、放射線量の定期的な確認、記録、報告を義務付けました。また、取材スタッフのGPS位置情報の確認も行い、本社側では常に現地スタッフの安全を確認していました。また、取材から戻ったあとは、過激な現場を見てきた取材スタッフの精神的ケアにも配慮していました。

放送:2011年4月22日

サムネイル

【キャスター】

東日本大震災から1か月が過ぎました。サガテレビの村岡記者がFNN取材団として福島県内を取材しました。

【記者】

私は震災からちょうど1か月が経った4月11日から7日間、福島第一原発から半径40キロ圏外の地域を取材しました。宮城県との県境にある新地町、相馬市周辺、いわき市を中心に被災地を取材しました。

(福島県いわき市豊間)

津波で大きな被害を受けた福島県の南部に位置するいわき市の豊間。震災から1か月が過ぎた4月12日、復興に向けて、がれきの撤去と残った家屋を取り壊す作業が始まっていました。壊れた家には、『これは私の建物です。解体を承諾します』との紙がはられていました。

取り壊される最後の我が家を時折、涙を浮かべながら目に焼き付ける男性がいました。この男性は、津波からかろうじて逃れましたが、一緒に逃げた妻が巻き込まれました。行方がわからないままの妻を日々捜し続けていました。また、家を失った人たちは、がれきの中から思い出を捜していました。

(福島県相馬市岩子地区)

黒く濁った海水が押し寄せ、瞬く間に農地や家が飲み込まれた相馬市の岩子地区。このあたり一帯の圃場は津波とともに運ばれてきた大量の土砂でおおわれてしまいました。

定規で測ってみると、本来の田んぼの土は10センチほど下でした。

この地で長年農業を続けてきた被災した農家は、「残念です。どういう風にして復旧するかは、まだ全然わからない。国でやってもらうほかない。個人では、とても到底できる状態ではない」と話していました。

(海水で冠水した圃場)

岩子地区周辺一体の圃場はまだ海水に浸かっていました。津波で一度流れ込んだ海水が震災から1か月あまりが経っても引かないということではないのです。海水に浸かっているのは、堤防の決壊のためです。堤防の一部が津波で破壊されました。そこから海水が流れ込んでいるのです。特に大潮の日は、いったん海水が引いている農地も再び冠水します。取材した場所も、冠水していなかった道路が15分ほどで水かさが増してきて、海水が圃場に流れ込んできました。

被災した農家は再びこの地で作付けできる日が来ることを願っていますが、「いつまた作付けできるか、皆目検討がつかない。命があっただけでもいいと思うしかない」と話していました。

(福島県新地町)

福島県の沿岸部も壊滅的な被害を受けました。4両編成の電車が押し流された宮城県との県境に位置する新地町の新地駅。その近くの新地小学校で、入学式が行われました。この小学校では2人の児童が犠牲になりましたが、子供たちの笑顔が被災地を勇気付けます。復興に向けて、未来を担う子供たちが元気に入場する姿がありました。

子供たちの母親は、「何とか子供たちが元気にやっていますので、大人ががんばって元気に育てていきたいと思います」と話していました。

(終)

※動画はスタジオで記者が報告する際に放送したものです。スタジオでのキャスターとの掛け合いという構成のため、映像にはナレーションが入っていません。ご了承ください。

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