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2025.10.31

佐賀駅にあった「反射炉の模型」は今どこに?視聴者の疑問を徹底調査!

「昔、佐賀駅の北口に反射炉の模型があったが、最近見当たらない。取り壊されたのか、どこに保管されているのか調べてほしい」――視聴者から寄せられたこの疑問を解決すべく、「それ、サガテレビが調べます」企画が動き出しました。江戸時代末期、鉄を溶かして大砲を作るために建設された溶解炉である「反射炉」。佐賀藩はいち早くこの技術を導入し、日本の近代化を牽引しました。佐賀の歴史を象徴するこの模型は、一体どこへ消えてしまったのでしょうか。

佐賀駅での聞き込み調査:深まる謎

実際に佐賀駅を訪れましたが、反射炉の模型はどこにも見当たりません。そこで、駅周辺で聞き込み調査を開始。しかし、証言は錯綜します。「北口ではなく、南口にあった気がする」「模型は記憶ないですね」「南口にあった気がする」「北口の駐車場のど真ん中にあった気がする」など、模型が北口にあったのか、南口にあったのか、謎は深まるばかりです。

佐賀市観光案内所で得た確かな情報

手がかりを求めて、佐賀駅構内にある佐賀市観光案内所を訪ねました。案内所の吉田さんから、ついに確かな情報を得ることができました。

「正しくは、北口の真ん中にありました。去年、駅の周りが綺麗になり、そのタイミングで撤去されました。それがどこにあるかなどのそれ以上の情報はコチラでは知りません」

模型は確かに北口にあったものの、駅前広場の整備に伴い撤去されたことが判明。しかし、その後の行方は依然として不明です。

佐賀市役所歴史・文化課で判明!模型の現在地

模型の正確な情報と現在地を知るため、佐賀市役所歴史・文化課を尋ね、歴史資産活用係長の柴田さんにお話を伺いました。

「反射炉とはこれの事ではないでしょうか」

柴田さんから提供された実際の写真により、佐賀駅にあった模型がどのようなものだったかを確認することができました。そして、「令和5年に駅前広場の整備を行いました。その時に佐賀駅からはなくなりました」と、撤去の事実が改めて確認されました。

さらに、視聴者が最も知りたがっていた模型の現在地も判明しました。

「現在は川副町の中川副公民館の敷地内に設置されています」

川副町で発見!佐賀の近代化を伝える模型

情報をもとに、早速川副町の中川副公民館へ向かいました。そして、ついに反射炉の模型を発見!この模型は、実際の反射炉の6分の1の大きさで作られています。当時の佐賀藩は、この技術を用いて135くらいの大砲を作ったと言われており、これほどの大砲を製造できたのは当時の佐賀藩のみだったそうです。佐賀藩は幕府からの注文により、多布施反射炉を作り、大砲を納品していました。佐賀駅にあったこの反射炉の模型も、幕府からのお金で作られたものであり、当時の佐賀が最先端の科学技術を持っていたことを物語っています。

まとめ:歴史を伝え続ける反射炉模型

佐賀駅の北口に長らく立ち続け、多くの人々に佐賀の歴史を伝えてきた反射炉の模型は、取り壊されることなく、静かに場所を移し、今もなお地域に歴史を伝え続けていました。模型が設置されている中川副公民館の近辺は、三重津海軍所や佐野常民記念館など、佐賀の歴史を語る上で欠かせないスポットが集中しています。佐賀駅で姿を消した模型は、今、佐賀の近代化の歴史を深く感じられる場所で、その役割を果たし続けています。視聴者からの疑問をきっかけに、佐賀の知られざる歴史のバトンリレーを追うことができました。
【2025年10月25日~26日放送 かちかちLIVE 週刊 アリサーチ! より】

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