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平川 邦明のブログ記事

2022.03.02

【発足25周年】サガン 奇跡のような軌跡

2月26日 駅前不動産スタジアムにて、特別番組「サガン鳥栖開幕戦スペシャル」をお送りしました。

結果は、1-1の引き分け。前半に先制しリードしていただけに悔しい結果となりましたが、大卒ルーキーが活躍し、今後がより楽しみになる試合でした。

 

画像:特別番組前に出演者にて

 

私は、元サガン鳥栖の早坂良太さんとメタルラック(美意識タカシ&ノッポノナカ)さんと副音声をお届けしました。

まるで観客のようにワイワイと盛り上がり、大変楽しい時間でした。

サガテレビにとって初のJ1生中継 そして、副音声。スタッフも初めてだらけでしたが、楽しく興奮してお届けしました。

 

今季のチームスローガンは「道」。チームは今年で発足25周年です。

1997年2月、佐賀市の小さな会議室で行われたチーム発足会見。

当時の映像を見ると、会見をする人たちの後ろのホワイトボードには、「サガン鳥栖FC」と黒のマジックで手書きで書かれていました。

あれから25年。当時からこれまでに何度も経営難によるチーム崩壊の危機がありましたが、今や当たり前のように、J1で戦うチームになりました。

 

 

私は、発足20周年時にサガン鳥栖の担当記者をしていました。当時のメモなどを元にサガン鳥栖の奇跡ともいえる軌跡を簡単に振り返っていきます。

 

サガン鳥栖の前身・鳥栖フューチャーズは、1996年11月にメインスポンサーの撤退を理由に、存続の危機に見舞われます。

しかし、「鳥栖というチームを残したい」とサポーター達は、12月30日から署名活動を始めました。

寒い寒い年末年始、神社などで活動したそうです。

当時、サッカーファンは少なく「こんなことやって何になるの?」「もうフューチャーズいらない」とも言われたそうです。
 

それでも諦めず…、一部のサポーターは1997年1月1日、ある場所へ向かいます。

向かった先は、天皇杯決勝(ヴェルディ川崎vsサンフレッチェ広島)の試合会場。そこで必死に署名を集め、会場には鳥栖が試合をしていないにも関わらず”フューチャーズコール”が響いたそうです。

署名活動をしたサポーターの1人は「決勝カードのサポーターも協力してくれて、スタジアム全体にフューチャーズコールが響いた。仲間はみんな泣いていましたね。僕もだけど」と振り返ります。

全国放送される決勝の舞台で直談判し、署名は目標だった5万人を超えました。

その結果、リーグは超法規的措置を取り、ヤマザキナビスコカップの出場を決め、解散したフューチャーズを引き継ぐ形で新チーム発足を認めました。それが、サガン鳥栖です。

 

1997年2月、発足会見で当時の県サッカー協会会長・中村安昭さんは言いました。

「地域に根差した健全な運営を目指す。皆さんの根っこの支えがないとできないことなんです」

 

いまのサガン鳥栖があり、勝敗に一喜一憂できるのは、当時のチーム関係者や先輩サポーターの皆さんのおかげです。

本当にありがとうございます。

 

 

これから長いリーグ戦が続いていきます。昨季の終盤のように正念場を迎えることもあるかと思います。

そんな時こそ、我々応援する側も一丸となりチームにエールを送り続けましょう!

いつまでも、17の誇りを胸に。次の試合こそ、その次の試合も…勝ち点3!!!

平川 邦明
平川 邦明
自分の言葉で少しでも社会が明るくなればと考えながら日々の取材やアナウンスに臨んでいます。
そして「観ていて良かった」と思われる番組を目指しスタッフ一丸となって奮闘中。
平日夕方、かちかちLIVE でお会いしましょう!
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