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2021.03.09

3.11を忘れない⑮ 玄海原発再稼働に福島の人は

東日本大震災から10年。

FNN取材団としてサガテレビも被災地を取材してきました。

記者とカメラマンが目にした被災地の動画をサガテレビのホームページに一挙に掲載します。

未曾有の災害を忘れないために・・・

取材をめぐる当時の状況

福島での復興が進む中、玄海原発3、4号機について、原子力規制委員会は2016年11月、再稼働に向けた事実上の合格証となる「審査書案」を了承しました。2010年12月の定期検査以降、福島原発事故のため停止したままだった玄海原発は、3年余りにわたる規制委員会の審査を経て、2018年3月23日、7年3か月ぶりに再稼働することになります。

放送:2018年3月9日

サムネイル

東日本大震災で大きな被害を受けた東北3県のうち、福島県では津波と原発事故という2つの災害からの復興が続いています。その現状をサガテレビの佐藤記者が取材しました。

(佐藤記者)

「新しい街づくりが急ピッチで進められています」

わずか1年ほど前、更地だった場所は現在、新しい駅が建設され、駅周辺には復興住宅などの新しい家屋やスーパーマーケットが立ち並びます。去年4月1日に一部を除いて避難指示が解除された福島県富岡町です。富岡町は、福島第一原発から南に約10キロの場所にあり、津波でも被害を受けました。震災前は約1万6000人の住民がいましたが、避難指示が解除され町に戻ってきたのは3月1日現在で458人にとどまっています。

ふるさとに戻ったひとり渡辺吏さん。去年の秋、震災前に町内で商売をしていた仲間8人とホテル事業を始めることになりました。

(富岡ホテル 渡辺吏社長)

「あそこが、家だっただよね」

震災前は駅前で食料品店を営んでいましたが津波に襲われ、家族は無事でしたが店と住宅を失い避難生活を余儀なくされました。

復興に向けて、少しずつ動きだしているふるさとに渡辺さんが思うことは。

【富岡ホテル社長渡辺吏社長】

「結果を求めないで、あせらずにゆっくりと動いて、また新たに前と同じものではなくて、こうなったんだから違う富岡ができていけばいいのかなと思いますけど」

渡辺さんと一緒にホテルにの経営に携わる大河原宗英さん。震災前に富岡町で飲食店を経営していた立場で原発に頼らざるを得ない町の状況と玄海原発再稼働についての考えを語ってくれました。

(富岡ホテル大河原宗英さん)

「やはり原発の関連の仕事で働いている人がいなければ、私は商売できない。そう考えると、なくなると、どうしますかって問いかけたいくらいじゃないですか。そこから始まるのが生活ですから。住むのは別に誰でも住める。生活をしていく中で考えるとやはり原発がなければ思うような生活はできないんではないかなと私はそう考えます」

「おうちにかえんだもんね自分のおうちにかえんだもんね」

去年の4月から町が運営する復興住宅に住んでいる林トシイさん。震災後いわき市などに避難し現在は夫の佶さんと飼い犬のゴンと暮らしています。

「放射能はこんなに恐ろしいものかと初めて分かりました。頭ではわかってましたけど。本当にどうしても玄海原発が再開するなら1キロ県内でももれても避難しなくてもいいぐらいの対策をとってもらわないと福島からでも賛成はできませんね。こんなつらい思いはみんなにしてほしくないです」

一方、まったく時が止まったところも町内にはあります。

(佐藤記者)

「こちらのバリケードの向こう側はいまだ放射線量が高く立ち入ることができません」

現在、帰還困難区域の場所は富岡町の面積の約1割を占め、当時町の人口の3割にあたる約4800人が住んでいました。いまだに放射線量は高く許可なく立ち入ることができず町が分断されています。ひとけのない住宅や放置された車が震災当時のままで、防護服をきた作業員が除染や家屋の解体作業にあたっていました。

また、富岡駅の裏側には除染作業ででた廃棄物などが入った黒い袋が積まれた状態。駅の東側の白い建物は仮設の減容化施設で、震災で出た「がれき」などが焼却、分別されています。

帰還困難区域の解除を5年後の2023年を目指す富岡町、新しい街づくりと震災の廃棄物の後片付けこの2つが同時進行で行われ少しずつ復興が進んでいます。

(終)

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