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2019.07.30

言葉が息をしているか ー宮原 拓也コラムー

7月21日投開票の参院選の投票率(選挙区)は48・80%だった。
過去25回あった参院選史上、2番目の低さだそうだ。国家を動かし、結果として日本の歴史を作っていくのは、ほかならぬ国会議員である。彼らを選ぶのが選挙で、これが「民主主義」の基本なのだが、その選挙に半分が参加しないのに、日本は果たして「民主主義国家」なのだろうか。

「半分民主主義」、略して「半民主義」とでも呼ぼうか。
昔はなぜ、投票率が高かったのだろうか。答えは簡単、かつて選挙はおカネをもらって行くもの、そんな土壌が日本全国津々浦々にまん延していたからだ。

「東の千葉、西の大分」は金権選挙お盛んだった土地柄を、そう揶揄した。

受験勉強の「四当五落」(睡眠時間4時間なら受かるが、5時間だったら落ちる)を文字って、選挙は「五当四落」と言われた時代もあった。「5億円使えば当選するが、4億では落ちる」というものだ。選挙違反事情も大きく変わった。共同通信が配信した記事によると、今から45年前の参院選では、選挙違反で9907人が摘発されたが、前回2016年の参院選での摘発者は何と117人で、85分の1に減った。衆院選はもっと激しい。1972年の衆院選での摘発者は驚くなかれ1万5906人で、2年前の衆院選がわずかに46人だったというから、346分の1へと激減した。「投票締め切り、即、(選挙違反摘発に)着手」という時代を知る警察官も、取材側の記者たちもほぼいなくなった。

選挙制度の変化も大きい。
中選挙区で同じ自民党同士でしのぎを削った時代から、1994年の小選挙区制導入で、人物というより政党を選ぶ時代になった。参院選の選挙区も、1人区だと同様で、「個」から「党」となると、個性が際立つ候補が減り、街頭演説での主張も「党」の言い分ばかりで、はっきり言ってつまらない。特定の政策についても、「I(私が)」より「We(われわれが)」となるから、どの県で投票しても同じようなものだ。魅力の薄い候補だと、余計に有権者の興味がそがれる。

果たして、永遠に投票率は下がり続ける。
いずれ、国政選挙も平均30%程度になる。
間違いない。
もっと熱い演説を聞きたい、と心底思う。

かつての政権を「悪夢」と罵倒し、他党の党首の悪口ばかりでつなぐ演説を、誰が聞こうか。地元では「東京一極集中打破」VS「核兵器廃絶」の演説を耳にしたが、申し訳ないが、いずれもまったく心に刺さらない。どこかの論文に書いてあるような、手垢のついた話ではなく、自分の言葉で、自分の感性で、自分の情熱で、なぜ語れないのだろうか。

コピーライター、コラムニストとして活躍し、6年前に亡くなった天野祐吉氏はかつて、総選挙で各党が掲げたスローガンを「どれも調子がいいだけで、言葉が息をしていない」と喝破したことがある。

言葉が死ねば、選挙も死ぬ。
そして、民主主義も死んでいく。
新聞、テレビのマスコミも同様、自戒すべし、である。

サガテレビ解説主幹:宮原 拓也

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