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アナウンサー

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鶴丸 英樹のブログ記事

2018.05.24

わたしの平成記④(平成4年)

わたしの平成記 4回目は

平成4年(1992年)です。

 

この年の3月 大学を卒業しました。

大学の4年間はいろんな刺激を受け人生で唯一マイペースで過ごすことができた楽しい時間でした。

 

そして4月 サガテレビに入社!

 

現在の社屋が建つ前の古い社屋の時代で報道部に配属されました。

意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが当時の部長には

「テレビは映像が大事だから1年間は映像を勉強しなさい」

と薫陶を受け報道のカメラマンをやらせてもらいました。

 

500万円くらいする大きな取材用カメラを持って最初はどう撮影すればいいのかさっぱり分からず記者の先輩方にだいぶ迷惑をおかけしました

ただこの1年間のカメラマンの経験はテレビの仕事をするうえで大きな財産になっています

この年の出来事と言えばバルセロナオリンピック

 

当時14歳の岩崎恭子選手が競泳女子平泳ぎ200mで優勝

 

レース直後のインタビューで

「今まで生きてきた中で、一番幸せです」

と語り、一躍時の人となりました。

 

 

そして“平成の三四郎”と呼ばれた佐賀県出身の柔道の古賀稔彦選手が足に大けがを負いながらも見事金メダル

五輪後、佐賀県庁に凱旋したときに取材に行きましたがものすごい数の職員が出迎え大変な盛り上がりでした。

 

 

さて、こちらは当時のサガテレビ野球部のユニホーム

九州のテレビ局による「U局野球大会」が毎年開催されていて 1年目から参加させていただきました。

 

私にとって初の大会は長崎。

夜の宴会の酒量がものすごくて吐いたことを覚えております

 

当時はサガテレビ野球部の全盛期で見事優勝!

“新人”に配慮していただきチームから1人選ばれるファインプレー賞?敢闘賞?的な賞をいただきました。

とても残念なこともありました。

私たちの世代にとってのカリスマ尾崎豊の死です。26歳でした。

大学時代の私にとっては(当時ありがちな・・・)尾崎豊 長渕剛 浜田省吾が3大カリスマシンガーでギターのコード演奏も練習していました

その尾崎の死は本当にショックでした

 

知らない人には申し訳ないのですが勝手に好きな曲ベスト3をあげさせていただくと

3位 『卒業』

2位 『シェリー』

1位 『Forget-me-not  でしょうか。

 

 

【平成4 年のおもな出来事】

■ゴルバチョフ書記長辞任・ソ連崩壊

■100歳の双子 きんさん・ぎんさんが大人気に

「冬彦さん」が流行語に

鶴丸 英樹
鶴丸 英樹
アナウンス歴は30年になりましたが日々勉強です。
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