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娘と妻残して満州へ シベリア抑留免れるも…戦友「俺も連れて帰って」110歳男性の記憶【佐賀県】

2023/08/10 (木) 18:40

基山町に住む九州最高齢、110歳の男性の体験です。当時30歳で徴兵、2人の子どもと妻を残して向かった満州で戦争を経験しました。

【大山常次さん】
「苦労はないですな。もう命もなんも。いつ死んでも良いと覚悟していますからな」

基山町の大山常次さん大正2年1913年に生まれ、現在110歳、九州最高齢の男性です。
大山さんは今から80年前の昭和18年1943年、30歳の時に招集され、1歳と2歳の娘と妻を残し当時日本が事実上支配していた満州へ赴きます。配置されたのは現在の中国牡丹江。川を挟みソ連との国境で、最前線で戦争を経験しました。

【大山常次さん】
「向こうがソ連ですから。戦車から弾薬から持って貨車で」

大山さんの元には、当時の写真が残されていました。

【大山常次さん】
「満州戦車隊五連隊五七三五隊」
「戦友な。これが教官。私はこの辺にいる。齊藤、だいぶ死んだなあ」

昭和20年1945年8月15日、日本はアメリカをはじめとした連合国に降伏しましたが、大山さんの部隊は終戦直前3月に本土防衛の命令が出たため日本へ向いました。

【大山常次さん】
「この人が部隊長じゃろ?この人が大佐、閑院宮春仁殿下」

部隊の連隊長だった皇族の閑院宮春仁王が、戦局の悪化から本土へ戻ることとなり、共に帰ることとなったのです。

【大山常次さん】
「安心しましたな。満州に残っとればな。もうあっち(ソ連)行ってたでな。残った人は向こうさ行っとる。私は運よくちょうど20年の3月の終わり20日ごろから満州を出てな」

終戦の直前ソ連、現在のロシアは日本と結んでいた条約を破り国境を越え侵攻。満州にいた多くの日本兵を捕虜として極寒の地で強制労働をさせます。いわゆるシベリア抑留です。
抑留された約57万5千人うち、5万5千人は祖国の土を踏むことはできませんでした。大山さんは現在の埼玉県で本土防衛の任務に当たり、終戦を迎えました。

【大山常次さん】
「詔書が下りましたからなこれにはもうみんな文句言うもんはおらんですな」

大山さんが戦争から帰ってきてから生まれた、息子の和徳さんは父からよく戦争の記憶を聞いていたと言います。

【大山和徳さん】
「この戦争の写真を見た時はああ、勇ましかねと思ってね。内地に帰ってくるときに戦友が「俺も連れて帰ってくれ」ってみんながこうしてね。そんな話もしよったです。自分たちは帰らないかんばってん、残る人たちが現地で残ってな満州のソ連との国境にね。それが。一番つらかったごたね」

終戦後は部隊長の「増産に励むように」との言葉より、家族がいる基山町に戻り農家として過ごしました。

【大山常次さん】
「戦争はいろんな事あったもんなあ。もう命もなんも。いつ死んでも良いと覚悟していますからな運が良かったような感じでしたな」

終戦を迎え、佐賀に帰ってくる途中広島を通って帰ってきたときは一面焼野原でもう見られる状態じゃなかったともおっしゃっていたとのことです。現在110歳で九州最高齢の男性で、少し耳は遠くなっているとのことですが、ご家族と話されている時など、輝くような笑顔を見せていました。これからも長生きして、笑顔で過ごしてほしいですね。
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