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【戦争の記憶】戦艦「大和」とともに特攻作戦に出撃 駆逐艦「雪風」の軍医

2022/08/17 (水) 13:08

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太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。

≪2014年8月19日放送≫
(年齢は放送当時)

世界最大の戦艦「大和」とともに決死の特攻作戦に出撃した駆逐艦「雪風」に軍医として乗船した武雄市の佛坂泰治さんの戦争の記憶。

上空1000メートルを超え立ち上る黒煙。昭和20年4月7日、全長263メートルを誇る世界最大の戦艦「大和」の轟沈の瞬間です。
「大和」は今から、73年前の昭和16年に旧日本海軍が建造した戦艦です。太平洋戦争末期、沖縄へ向かう途中にアメリカ軍の攻撃を受け、乗員3332人のうち3056人とともに海底深く沈みました。
轟沈の様子を、生き残った乗員はこう記しています。

『「大和」あなや覆らんとして赤腹をあらわし、水中に突っ込むと見るや忽ち、一大閃光を噴き、火の巨柱を暗天まで深く突き上げ、装甲、装備、砲塔、砲身、全艦の細片ことごとく舞い散る』(吉田満「戦艦大和」角川文庫より)

大和が爆発したとき、近くにいた1隻の軍艦、駆逐艦「雪風」です。「雪風」はこのあと、海に投げ出された「大和」の生存者を救出し、帰還します。
武雄市に住む佛坂泰治さん94歳。大和の最期を見届けた「雪風」に軍医長として乗り組んでいました。

「あのころは誰でも医学部を卒業したら陸軍の軍医、海軍の軍医、誰でもなっていた」

昭和16年12月、ハワイ真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を日本軍が奇襲攻撃し、太平洋戦争が始まりました。当初、優勢だった日本は物量に優るアメリカを始めとした連合国軍の反撃を受け、昭和19年末には日本本土への空襲が本格化、国民の間では本土決戦もささやかれるようになりました。

「一般の陸上の女の人、大日本国防婦人会がアメリカの兵隊が落下傘で降りてきたら竹やりで刺す。そういう訓練をしていた」

アメリカ軍は昭和20年3月、沖縄に向け侵攻を始めます。日本陸海軍はこれを阻止するため世界の戦術史上類をみない作戦を展開します。飛行機のパイロットもろとも敵の艦船に体当たりする特別攻撃いわゆる特攻作戦です。さらに日本海軍は海軍の象徴ともいわれた戦艦「大和」や佛坂さんの乗る雪風など10隻を特攻部隊として沖縄へ突入するよう命令を下します。

「あのときは、10隻とも沖縄に無事着けば切り込み隊。感傷とかなくて、軍人は自分の任務を全うすることしか考えていなかった。全然恐怖感というのはなかった。死ぬのは当たり前。軍人でも、一般人でも天皇陛下のために命をささげるのは常識。私も特攻隊だから一人残らず死ぬことになっていた」

佛坂さんの手元には、大和の乗員の写真が多く残されています。長崎県在住で大和研究家の指山満治さんとともに、戦後69年経った今も、連絡がついた遺族の元へ写真を送り続けています。

【大和研究家 指山満治さん】
「海軍は機密が多く、絶対艦内上での写真は禁止していた。ところが大和だけのこっている。なぜかというとおそらく、最終的には大和もいつやられるか分からない。どうせ死ぬのなら大和で戦ったということを、家族に残したい。そういう思いから乗員が艦長に頼んで撮影を許可されたのではないかと」

昭和20年4月7日の正午すぎ、数百機ものアメリカ軍の戦闘機や雷撃機が大和や雪風めがけて殺到しました。2時間続いた戦闘で雪風はほぼ無傷でしたが、大和は多数の魚雷や爆弾を受け沖縄から遠く離れた鹿児島県の沖合で沈没しました。

「治療が一段落してみたら、大和から1500メートル離れていたところで、私が見たら大和もいない巡洋艦矢矧もいない。轟沈の瞬間は治療していたから、士官室にいたから知らないが、外にいて半袖で治療していた者は1500メートル離れていても熱かったと言っていた」

結局10隻の特攻部隊のうち、6隻が沈没または大破したため作戦は中止されます。

「これは私ははっきり覚えている。天皇陛下命令で、雪風は大和が沈んだ海域に直行し、救助に全力を尽くせ、という命令が艦内放送で。大和が沈んだ海域に回航し、救助した」

この戦いに参加した日本海軍の兵士約7300人のうち4000人余りが戦死しました。一方のアメリカ軍側は少なくとも5機が撃墜され12人が戦死したとされています。

Q,生き残れたのは運みたいなものがあった?
「運でしょうね。死ぬのが当然ですから。生き残ったのが奇跡というか」

沈没した鹿児島沖から佐世保に帰還するまでの間、佛坂さんは負傷者や亡くなった人の血がたまった「雪風」の中の治療室で、夜通し「大和」の乗員などの手当てにあたったということです。
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