佐賀のニュース
【戦争の記憶】「地獄というか地獄以上」 広島の爆心地から1.7キロで被爆した男性
2022/08/16 (火) 16:56

太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。
≪2020年8月6日放送≫
(年齢は放送当時)
広島の爆心地から1.7キロで被爆した男性が佐賀市にいます。原爆が投下されたあと、男性が目の当たりにしたのは「地獄以上」と語る光景でした。
「8時15分。黙とうします」
「その当時の記憶がだんだん薄れていく。よくぞこの歳まで生きれこられたなという思い。原子爆弾で亡くなった人のことを思うと何とも言えない無念さ、切なさ、寂しさがいっぱいこみあげてくる」
『原爆搭載機エノラゲイ。8月6日、広島攻撃に向かうことが決定した』
1945年8月6日。アメリカが広島に原子爆弾を投下。その年の12月までに約14万人が命を失ったといわれています。
「光が目から脳に突き抜けるような、突き刺さるような感じ。私はその瞬間、口と耳を手で押さえて伏せた」
手帳を読み上げる中野貞禎さん。
「これが被爆者健康手帳」「被爆の場所…広島県南段原町、爆心地から1.7キロ」
佐賀市の中野貞禎さん94歳。中野さんは19歳で徴兵され広島県にある「船舶砲兵通信教育隊」で、無線通信などの教育を受けていました。兵隊になってから約4カ月後、その瞬間は突然やってきました。
「『きょうの行動計画』、『無線の実習をやる』、とかを上官の人、中尉の人がいて、その人から『どうだこうだ』と指示を受けていた。そのときに原子爆弾が落ちてきた」
強烈な熱線と爆風は一瞬で町を崩壊させました。中野さんがいた場所は、爆心地から小高い丘を挟んだ反対側でした。それでも、建物は倒壊。中野さんは瓦屋根の隙間を目指し無我夢中で這いつくばりました。
「一生懸命、屋根瓦が落ちてくるのも構わず、外に逃げ出した。瓦の破片であごを切ったんでしょうね。血がだらだらと垂れ下がっていた」
外に出ると、逃げ惑う人のあまりの姿に言葉を失いました。
「やけどしているから、皮膚が垂れ下がる。顔が半分つぶれる。上半身裸。やけどして皮膚がたらたらとした感じ。何人でもいっぱい見た。無残以上。地獄というか地獄以上」
中野さんは、隊の指示を受け近くの小学校でケガ人の救護活動にあたりました。そこで声をかけてきたのは、5歳ぐらいの男の子。
「うめきながら、苦しみながら『兵隊さんお水ちょうだい、お水ちょうだい』と言う。どうしたものかと悩みながら、『ちょっとこの子はだめかも分からない。ならせめて』ということで、一升瓶の半分以上一気にその子供が飲んだ。そのあと、全部吐き出して亡くなっていくときはもう涙が自然とぽろぽろ出た」
さらに、こんな女性も…。
「ケガが化膿して、そこにハエが卵を産んで、うじが湧いて、めらめらしながら、はい回って、こぼれ落ちる。よくあの雰囲気の中で俺は生きてこられたな、という気がする。それぐらいなんというか…」
生死のはざまにいながら、迎えた終戦の日。中野さんは、先輩の上等兵から日本の敗戦を聞きます。
「ほっとした気持ち。一瞬緊張がぽっと解けた。でも今までの経験が『これでよかったのか』と…なんというか複雑な気持ち」
戦後は、郵便局員として佐賀市で働きました。94歳になった今の趣味は、バラを育てること。心臓にペースメーカーを入れていますが、元気に毎日を暮らしています。
「生きていられてよかったなという気持ちがある。私は94にもなって明日のことを考えて生きている」
中野さんは、これまで戦争の体験を話したことが家族も含めほとんどありません。しかし、あの日見た光景は、いまも鮮明に覚えています。
「苦しさとか切なさとか、そういうことは実際経験しないと分からない。経験した者が話しても、そういう時代に生きていない人は理解できないでしょう?そういうことがあったとか、何の話かい、という感じじゃないですか?」
終
≪2020年8月6日放送≫
(年齢は放送当時)
広島の爆心地から1.7キロで被爆した男性が佐賀市にいます。原爆が投下されたあと、男性が目の当たりにしたのは「地獄以上」と語る光景でした。
「8時15分。黙とうします」
「その当時の記憶がだんだん薄れていく。よくぞこの歳まで生きれこられたなという思い。原子爆弾で亡くなった人のことを思うと何とも言えない無念さ、切なさ、寂しさがいっぱいこみあげてくる」
『原爆搭載機エノラゲイ。8月6日、広島攻撃に向かうことが決定した』
1945年8月6日。アメリカが広島に原子爆弾を投下。その年の12月までに約14万人が命を失ったといわれています。
「光が目から脳に突き抜けるような、突き刺さるような感じ。私はその瞬間、口と耳を手で押さえて伏せた」
手帳を読み上げる中野貞禎さん。
「これが被爆者健康手帳」「被爆の場所…広島県南段原町、爆心地から1.7キロ」
佐賀市の中野貞禎さん94歳。中野さんは19歳で徴兵され広島県にある「船舶砲兵通信教育隊」で、無線通信などの教育を受けていました。兵隊になってから約4カ月後、その瞬間は突然やってきました。
「『きょうの行動計画』、『無線の実習をやる』、とかを上官の人、中尉の人がいて、その人から『どうだこうだ』と指示を受けていた。そのときに原子爆弾が落ちてきた」
強烈な熱線と爆風は一瞬で町を崩壊させました。中野さんがいた場所は、爆心地から小高い丘を挟んだ反対側でした。それでも、建物は倒壊。中野さんは瓦屋根の隙間を目指し無我夢中で這いつくばりました。
「一生懸命、屋根瓦が落ちてくるのも構わず、外に逃げ出した。瓦の破片であごを切ったんでしょうね。血がだらだらと垂れ下がっていた」
外に出ると、逃げ惑う人のあまりの姿に言葉を失いました。
「やけどしているから、皮膚が垂れ下がる。顔が半分つぶれる。上半身裸。やけどして皮膚がたらたらとした感じ。何人でもいっぱい見た。無残以上。地獄というか地獄以上」
中野さんは、隊の指示を受け近くの小学校でケガ人の救護活動にあたりました。そこで声をかけてきたのは、5歳ぐらいの男の子。
「うめきながら、苦しみながら『兵隊さんお水ちょうだい、お水ちょうだい』と言う。どうしたものかと悩みながら、『ちょっとこの子はだめかも分からない。ならせめて』ということで、一升瓶の半分以上一気にその子供が飲んだ。そのあと、全部吐き出して亡くなっていくときはもう涙が自然とぽろぽろ出た」
さらに、こんな女性も…。
「ケガが化膿して、そこにハエが卵を産んで、うじが湧いて、めらめらしながら、はい回って、こぼれ落ちる。よくあの雰囲気の中で俺は生きてこられたな、という気がする。それぐらいなんというか…」
生死のはざまにいながら、迎えた終戦の日。中野さんは、先輩の上等兵から日本の敗戦を聞きます。
「ほっとした気持ち。一瞬緊張がぽっと解けた。でも今までの経験が『これでよかったのか』と…なんというか複雑な気持ち」
戦後は、郵便局員として佐賀市で働きました。94歳になった今の趣味は、バラを育てること。心臓にペースメーカーを入れていますが、元気に毎日を暮らしています。
「生きていられてよかったなという気持ちがある。私は94にもなって明日のことを考えて生きている」
中野さんは、これまで戦争の体験を話したことが家族も含めほとんどありません。しかし、あの日見た光景は、いまも鮮明に覚えています。
「苦しさとか切なさとか、そういうことは実際経験しないと分からない。経験した者が話しても、そういう時代に生きていない人は理解できないでしょう?そういうことがあったとか、何の話かい、という感じじゃないですか?」
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