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【戦争の記憶】「治療薬がない。だから重傷患者はそのまま死んでいけと」 元海軍特別陸戦隊の男性
2022/08/16 (火) 15:13
太平洋戦争が終わってから77年。日本はその後、他国と戦火を交えていませんが、ウクライナ侵攻など戦争・紛争は絶えません。サガテレビが過去に取材した人の記憶を振り返り、改めて戦争、そして平和について考えます。
≪2021年8月11日放送≫
(年齢は放送当時)
太平洋戦争当時、海軍で陸上での戦闘を主な任務とする陸戦隊に所属し、18歳で南方戦線に向かった男性の話です。
「重傷患者はそのまま死んでいけと」「もう『おっかさーん、おっかさーん』と」
伊万里市の川久保好喜さん96歳。今から78年前の1943年4月、18歳だった川久保さんは海軍の海兵団に志願して入団。その後、陸上での戦闘を行う特別陸戦隊の水陸両用戦車の搭乗員になり、日本から約5千キロ離れた南方戦線、パプアニューギニアのラバウルに行くよう命じられます。
「これで内地を見納めかということと、戦地を知らないので早く南方の部隊に着きたいという2つの複雑な気持ちはありました」
パプアニューギニア方面はアメリアやオーストラリアからの攻撃を防ぐ最前線として、多くの日本兵が投入されましたが、死者は20万人を超えるほどの激戦地でした。川久保さんの部隊はラバウルからカビエンに向かいましたが、連合軍の攻撃が激しくなり、1日に何度も空襲を受けました。
「ここに戦車がいるでしょ。うちの部隊の水陸両用戦車。そこに爆弾が落ちたわけですよ。これ落下傘爆弾。出撃したけど道路をぬいながら砲弾がどんどん落ちてくる。これは最期だと。このときは、弾はどんどん落ちてくるし、その時は怖いも何もそういう感情はなかった。それが人間の心理ですよ。戦場心理。敵愾心に燃えて、『なにくそ』ということで。もうひとつは我々は内地に帰らないというひとつの諦めがあった」
南方戦線ではマラリアなどの感染症も多く、食糧不足による栄養失調も重なり、戦闘によるもの以上に多くの死者が出ました。
「パパイヤの実をとってきたり、ヘビやトカゲ、コウモリ、野ブタをとったり」
太平洋戦争で亡くなったとされる日本の戦没者、約230万人のうち、一説では6割ほどが病気や餓死などの戦病死と言われています。過酷な環境の中、川久保さんもマラリアにかかり、野戦病院へ運ばれました。その時の悲惨な光景は、いまでも瞼に焼き付いています。
「ヨードチンキだけ。あと包帯がない。包帯がないから木の葉っぱで包帯代わり。その間からウジ虫が入って。重傷患者は治療しない。軽傷患者だけ治療する。治療薬がないわけ。だから重傷患者はそのまま死んでいけと」「もう『おっかさーん、おっかさーん』と。『天皇陛下』って言う人は全然いない」
日本の輸送船は次々に沈められて物資もなく、病気や空襲でやられ、次々と運ばれる戦友を見る度に不安が募ったといいます。
「もう補給もないし、これだけ空襲を受けて、日本の飛行機もいないし、来ないし、糧食もないし。これでどうなるだろうかと複雑な気持ちだった」空襲がさらに激しさを増す中、突然、上官から集合がかかります。1945年・昭和20年8月15日、日本は連合国に無条件降伏したのです。
「日本は負けてここで終戦になったと。それからがっかり。がっかりと内地に帰れるぞというひとつの楽しみが浮かんだ」
約8ヶ月間の捕虜生活の後、川久保さんたち生き残った日本兵は引揚船に乗り、日本へ帰りました。
「日本に上陸するときに感激したのか、『松の木が見えた』と騒いだ。ある者は涙を流していた。日本の松の木が見えたということ。懐かしかったんでしょうね」
帰国から4年後の1950年、川久保さんは改めて国を守りたいという思いで、今の自衛隊の前身である警察予備隊に入隊。定年を迎えるまで、日本の国防に貢献しました。その後、戦友に誘われるなどして、当時の厚生省が進めていた残留日本兵の捜索や戦没者の遺骨収集派遣団に参加し、再びパプアニューギニアを訪れました。
「骨を掘って洗っているところ。これは大腿骨。大腿骨2本が1体として、頭蓋骨1つを1体として。ここで掘ったのが80何体、ひとつの壕から出てきた。この人は何県の、どこの部隊の人だろうか、というふうに考えましたけど。なんというか、出てきたときには可哀想と」
遺骨は都内にある千鳥ケ淵戦没者墓苑に納められています。川久保さんいまも戦死した戦友を思いつつ、生きていることに喜びを感じています。
「亡くなった人には申し訳ないけれども、こうやって生きながらえたということは個人としては喜ばないといけない。戦争するということは必ずどっちかが傷つくわけですからね。人種が違えばしきたりも違う。思想も違う。だから戦争も起きることなんだろうけど、やっぱり争いはしたらいけない」
終
≪2021年8月11日放送≫
(年齢は放送当時)
太平洋戦争当時、海軍で陸上での戦闘を主な任務とする陸戦隊に所属し、18歳で南方戦線に向かった男性の話です。
「重傷患者はそのまま死んでいけと」「もう『おっかさーん、おっかさーん』と」
伊万里市の川久保好喜さん96歳。今から78年前の1943年4月、18歳だった川久保さんは海軍の海兵団に志願して入団。その後、陸上での戦闘を行う特別陸戦隊の水陸両用戦車の搭乗員になり、日本から約5千キロ離れた南方戦線、パプアニューギニアのラバウルに行くよう命じられます。
「これで内地を見納めかということと、戦地を知らないので早く南方の部隊に着きたいという2つの複雑な気持ちはありました」
パプアニューギニア方面はアメリアやオーストラリアからの攻撃を防ぐ最前線として、多くの日本兵が投入されましたが、死者は20万人を超えるほどの激戦地でした。川久保さんの部隊はラバウルからカビエンに向かいましたが、連合軍の攻撃が激しくなり、1日に何度も空襲を受けました。
「ここに戦車がいるでしょ。うちの部隊の水陸両用戦車。そこに爆弾が落ちたわけですよ。これ落下傘爆弾。出撃したけど道路をぬいながら砲弾がどんどん落ちてくる。これは最期だと。このときは、弾はどんどん落ちてくるし、その時は怖いも何もそういう感情はなかった。それが人間の心理ですよ。戦場心理。敵愾心に燃えて、『なにくそ』ということで。もうひとつは我々は内地に帰らないというひとつの諦めがあった」
南方戦線ではマラリアなどの感染症も多く、食糧不足による栄養失調も重なり、戦闘によるもの以上に多くの死者が出ました。
「パパイヤの実をとってきたり、ヘビやトカゲ、コウモリ、野ブタをとったり」
太平洋戦争で亡くなったとされる日本の戦没者、約230万人のうち、一説では6割ほどが病気や餓死などの戦病死と言われています。過酷な環境の中、川久保さんもマラリアにかかり、野戦病院へ運ばれました。その時の悲惨な光景は、いまでも瞼に焼き付いています。
「ヨードチンキだけ。あと包帯がない。包帯がないから木の葉っぱで包帯代わり。その間からウジ虫が入って。重傷患者は治療しない。軽傷患者だけ治療する。治療薬がないわけ。だから重傷患者はそのまま死んでいけと」「もう『おっかさーん、おっかさーん』と。『天皇陛下』って言う人は全然いない」
日本の輸送船は次々に沈められて物資もなく、病気や空襲でやられ、次々と運ばれる戦友を見る度に不安が募ったといいます。
「もう補給もないし、これだけ空襲を受けて、日本の飛行機もいないし、来ないし、糧食もないし。これでどうなるだろうかと複雑な気持ちだった」空襲がさらに激しさを増す中、突然、上官から集合がかかります。1945年・昭和20年8月15日、日本は連合国に無条件降伏したのです。
「日本は負けてここで終戦になったと。それからがっかり。がっかりと内地に帰れるぞというひとつの楽しみが浮かんだ」
約8ヶ月間の捕虜生活の後、川久保さんたち生き残った日本兵は引揚船に乗り、日本へ帰りました。
「日本に上陸するときに感激したのか、『松の木が見えた』と騒いだ。ある者は涙を流していた。日本の松の木が見えたということ。懐かしかったんでしょうね」
帰国から4年後の1950年、川久保さんは改めて国を守りたいという思いで、今の自衛隊の前身である警察予備隊に入隊。定年を迎えるまで、日本の国防に貢献しました。その後、戦友に誘われるなどして、当時の厚生省が進めていた残留日本兵の捜索や戦没者の遺骨収集派遣団に参加し、再びパプアニューギニアを訪れました。
「骨を掘って洗っているところ。これは大腿骨。大腿骨2本が1体として、頭蓋骨1つを1体として。ここで掘ったのが80何体、ひとつの壕から出てきた。この人は何県の、どこの部隊の人だろうか、というふうに考えましたけど。なんというか、出てきたときには可哀想と」
遺骨は都内にある千鳥ケ淵戦没者墓苑に納められています。川久保さんいまも戦死した戦友を思いつつ、生きていることに喜びを感じています。
「亡くなった人には申し訳ないけれども、こうやって生きながらえたということは個人としては喜ばないといけない。戦争するということは必ずどっちかが傷つくわけですからね。人種が違えばしきたりも違う。思想も違う。だから戦争も起きることなんだろうけど、やっぱり争いはしたらいけない」
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