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「天建寺橋が架けられた理由が風化しないように」70年前の事故の記憶を遺族の女性語る
2020/05/28 (木) 16:13
みやき町と久留米市の間の筑後川にかかる天建寺橋。この橋がかかる前は、小さな渡し舟が住民の生活の足でした。70年以上前のことです。この橋ができたゆえんともいえる悲しい事故の記憶を遺族の女性から聞きました。
「ランドセルの中には筆入れも弁当箱も残ってました。ポケットには砂が、どのポケットにも入ってました。よかったって、見つかったらね。見つからなかったらもっとつらいですよね」
穏やかに水をたたえる筑後川、九州最大のこの川に天建寺橋がかかる前のこと。陸続きだった三養基郡南茂安村は筑後川の流れの改修工事で分断されてしまったため、100人余りの小学生が毎日、県が運航する渡し船で川のむこうの南茂安小学校、現在の三根東小学校へと通学していました。
当時、現場近くに住んでいた古賀キヌ子さん90歳。10歳年下の弟、当時小学3年生だった福田紀男さんも毎日渡し船を利用する1人でした。
古賀キヌ子さん:「赤ちゃんの頃から抱っこさせてとか通りすがりの人から言われるくらいかわいかったです。ほんと悔しいですよ。行ってきます!って声がね。ちゃんと聞いたのにね。何分もしないうちにね。70年も経つと思わないです」
1950年昭和25年2月13日午前8時すぎ、この小さな渡し舟が転覆。41人の子供たちがみぞれの降る冷たい筑後川に投げ出されたのです。「最初はひたひたと(舟に)水が入ってきたそうです。冬で冷たいから、靴が濡れた、靴下が濡れたと騒いだそうです。乗ってた人が言うには風は吹いてなかった。舟に水が入ってきたからみんな立ち上がって騒いだと。そして返った」。
町の資料や新聞では転覆の原因は強風による波と雨による増水が犠牲者を出したと伝えていますが、キヌ子さんは船にいつもより多くの人が乗ったのが原因と考えています。
「波とか突風になってるけど嘘。人員過剰ですよ。普段は25,6人。えらいいっぱい乗せてあるんですよあの小さな船に。信じられない。本当に大騒ぎでしたよ」
1人、また1人と救助されましたが、2人が遺体で発見され、紀男さんを含む4人が行方不明に。捜索は10日間で打ち切られましたが、紀男さんの母は毎日探しに向かったといいます。
紀男さんが発見されたのは事故から23日後のことでした。当時9歳でした。
「つらかったろうね寒かったろうね苦しかったろうねって体をさすりながらね。湯かんがすんだあとなでて。悲しい思い出ですよね」
事故を伝えた翌日の西日本新聞には、紀男さんの母の悲痛な思いが語られています。「今朝もいつもに似ず家族のゲタまでそろえて大きな声で『いってきます』と言って出ていきました。その声がいまだに耳に残っています。あの時の声は一生忘れられないでしょう」
行方不明だった4人が全員遺体で見つかったあと、村では6人の合同の葬儀が行われました。
転覆事故の現場を歩くと舟の渡し場の跡が、今も残っていました。「70年ぶりです、降りてきたのは70年ぶり。遭難があってからは嫌だと思って。石積みもちゃんとあったからね、思い出しました。帰ってくるときは、むこうに舟がいないと、おーいおーいって手を振るんです。そうですよ、ここでした」
石を組んで作られた渡し場の上に舟を待つための小さな小屋が設けられ、ここから毎日多くの人が買い物や通学のため川を渡っていたのです。紀男さんたちを乗せた船が転覆したのは、向こう岸まであとわずかのところでした。
筑後川を望む堤防の上には犠牲になった6人の子供たちを悼んでキヌ子さんが自費で建てた慰霊碑があり、近くには六地蔵が建立されています。キヌ子さんは今も毎月1回紀男さんの月命日に手を合わせるといいます。
「六地蔵様になってしまった弟ですよね。もう1日だって忘れることはないですよ。飴を買ってっていったんですよ、その日の昼。泣きながらついてきましたよ。それが悔いられる。何で飴を買わなかったんだろう、ごめんねって。あのとき姉ちゃん買ってやればよかったねって」
キヌ子さんは20年ほど前から紀男さんも通った現在の三根東小学校で子供たちに向かって命の大切さを伝え続けています。
古賀絹子さん:「悲しい出来事です。子供さんたちの姿を見ると、弟の姿が思い出されて、丁度3年生でしたから、小さい子供さんの手を握りしめたいという感触があって」
花供養の歌学校では、事故を忘れまいと「花供養の歌」が今でも子供たちに歌い継がれています。
「1番悲しいのはその歌を聞くとき。ただいまって帰ったらごはんができててお風呂が沸いててそれを食べて寝て学校に行って、普通にそれが続いていくって私も思いますけどね。こういう事故があるとそうじゃないんだって悲しいこともあるのよって言いたいですね。1日で変わってしまうんですよ。その日その日を大切に過ごしてほしいと思いますね。だんだん年をとって思い出が薄れることはないです。濃くなってきました。語り継いでもらいたいと思う。この橋ができたゆえんを」
事故から4年後には木造の天建寺橋が架けられ、渡し舟も姿を消しました。なぜこの橋が架けられたのか、その悲しい理由がこの先も風化しないようにとキヌ子さんは願っています。
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